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冬季オリンピックの第1回はいつ?実は「五輪」と名乗れなかった誕生秘話と日本の不在

雑記

2026年現在、イタリアのミラノ・コルティナダンペッツォで第25回冬季オリンピックが華やかに開催されています。最新のテクノロジーとアスリートの超人的なパフォーマンスに世界中が熱狂していますが、この雪と氷の祭典がいつ、どこで始まったのかをご存じでしょうか?

「第1回は100年くらい前?」

「最初は夏と一緒にやっていたって本当?」

そんな疑問を持つ方のために、冬季オリンピックの知られざる「始まりの物語」を解説します。実は第1回大会は、猛反対の中で行われた「実験的なイベント」であり、日本はその場にいなかったのです。

今のオリンピック観戦がもっと面白くなる、1924年へのタイムトラベルに出かけましょう。

【結論】第1回冬季オリンピックは「1924年」に開催

結論から申し上げます。記念すべき第1回冬季オリンピックが開催されたのは、今から約100年前のことです。

  • 開催年:1924年(大正13年)
  • 開催期間:1月25日〜2月5日(12日間)
  • 開催地:フランス・シャモニー・モンブラン
  • 参加国:16カ国
  • 参加選手:258名(男子247名、女子11名)

舞台となったシャモニー・モンブランは、フランス東部、アルプス山脈の最高峰モンブランの麓にある美しいリゾート地です

現在開催中の2026年大会には90以上の国と地域が参加していますが、当時はわずか16カ国。主に欧米諸国だけの、こぢんまりとした大会でした。しかし、これが今日の巨大イベントの「原点」となったのです。

実は「オリンピック」ではなかった?誕生までの複雑な裏側

「第1回冬季オリンピック」として歴史に刻まれているシャモニー大会ですが、開催当時は「オリンピック」という名前ではありませんでした。

正式名称は「第8回オリンピアードの一部としての国際冬季スポーツ週間」

なんとも歯切れの悪い名前ですが、これには深い事情がありました。実は当時、冬季オリンピックの開催には強力な「反対勢力」が存在したのです。

「冬の五輪」を嫌がった北欧諸国

反対していたのは、意外なことにノルウェーやスウェーデンといった北欧のウィンタースポーツ強豪国でした。

彼らはすでに「ノルディック・ゲームズ」という独自の国際大会を持っており、「わざわざオリンピックでやる必要はない」「自分たちの伝統的な大会の価値が下がる」と猛反発していたのです。

クーベルタン男爵の苦肉の策

近代オリンピックの父、ピエール・ド・クーベルタン男爵も、当初は冬季大会には消極的でした。しかし、ウィンタースポーツの人気が高まる中、IOC(国際オリンピック委員会)としても無視できなくなります。

そこで、「1924年のパリ五輪(夏季)の前座イベントとして、あくまで『スポーツ週間』という名前でやりましょう」という妥協案で北欧勢を説得しました。

結果としてこの大会が大成功を収めたため、翌年の1925年、IOCはこれを「遡って第1回冬季オリンピックとして認定する」と決定したのです。つまり、第1回大会は「後出しジャンケン」的に正式なオリンピックになったというわけです。

氷が溶けて洪水に!?開催を阻んだ「天候トラブル」

「スポーツ週間」としてなんとか開催にこぎつけたシャモニー大会ですが、開幕直前には絶体絶命のピンチが訪れました。「天候」です。

1923年の年末、シャモニーには記録的な大雪が降り、準備していたリンクが埋まってしまいました。600人以上の作業員が昼夜を徹して雪かきを行い、なんとか復旧させた矢先、今度は急激な気温上昇と雨が襲います。

リンクは溶けて湖のようになり、街は洪水に見舞われました。「もう中止にするしかない」と誰もが諦めかけましたが、開幕の数日前になって奇跡的に寒波が到来。リンクはカチカチに凍り、1月25日の開会式を迎えることができたのです。

当時の開会式に参加した観客はわずか数百人だったと言われています。現在のスタジアムを埋め尽くす観衆とは比べものになりませんが、選手たちの熱意は当時から変わりませんでした。

その時、日本は?第1回大会に「不参加」だった理由

ここで気になるのが、「日本は参加していたのか?」という点です。

残念ながら、1924年の第1回シャモニー大会に、日本選手団の姿はありませんでした。

なぜ日本はいなかったのか?

日本がIOCに加盟したのは1909年。夏季五輪には1912年のストックホルム大会から参加しており、1924年のパリ夏季五輪にも選手を送っています。では、なぜ冬は不参加だったのでしょうか。

最大の理由は、前年の1923年(大正12年)9月1日に発生した「関東大震災」です。

未曾有の大災害により、日本国内は壊滅的な被害を受けました。スポーツ選手を海外へ派遣する余裕などなく、準備不足や資金難も重なり、参加を見送らざるを得なかったのです。また、当時の日本ではウィンタースポーツがまだ黎明期であり、世界レベルの選手が少なかったことも背景にあります。

日本のデビューは「第2回」から

日本が冬季オリンピックに初参加したのは、4年後の1928年(昭和3年)、第2回サンモリッツ大会(スイス)からです。

この時も参加選手はわずか6名。全員がスキーもスケートもこなすような万能選手たちでした。彼らが切り拓いた道が、2026年のメダルラッシュに繋がっていると思うと感慨深いものがあります。

第1回大会のユニークな競技と伝説の選手たち

第1回大会では、現在とは少し違うユニークな競技も行われていました。

銃を持ってスキーで走る?

正式競技として行われた「ミリタリーパトロール」。これは現在の「バイアスロン」の前身となる競技です。軍服を着た4人の選手がチームを組み、スキーで走りながら射撃を行うものでした。当時はまだスポーツというより「軍事教練」の色合いが濃かったことがわかります。

11歳の少女の挑戦

フィギュアスケート女子シングルには、ノルウェーからソニア・ヘニーという選手が出場しました。彼女の年齢はなんと11歳

結果は最下位の8位でしたが、彼女はその後、第2回、第3回、第4回とオリンピック3連覇を達成。ハリウッド映画のスターにもなり、フィギュアスケートをメジャースポーツに押し上げた伝説の存在となりました。

初代「氷上の王」

スピードスケートでは、フィンランドのクラス・ツンベルグが圧倒的な強さを見せました。彼は5種目中3種目で金メダルを獲得し、さらに銀1つ、銅1つと、一人で5つのメダルを持ち帰りました。彼は「氷上のヌルミ(当時の陸上英雄)」と呼ばれ、第1回大会の主役となりました。

1924年から2026年へ:100年でこれだけ変わった

最後に、第1回シャモニー大会と、現在開催中の第25回ミラノ・コルティナ大会を数字で比較してみましょう。

項目第1回 シャモニー(1924年)第25回 ミラノ・コルティナ(2026年)
参加国数16カ国90カ国以上(予定)
参加選手数258名約2,900名
女子選手数11名(全体の約4%)約1,300名(全体の約47%)
競技数5競技 16種目16競技 116種目
開催期間12日間17日間

最も大きな変化は「女性アスリートの増加」と「競技の多様化」です。

第1回大会では、女性が参加できるのはフィギュアスケートのみでした。それが今では、ほぼ半数が女性選手となり、スキーアクロバットやスノーボードなど、若者に人気のエクストリームな種目も増えました。

100年前、雪解けのシャモニーで泥だらけになりながら始まった小さな大会。それが多くの人々の情熱によって守られ、進化し、今日の熱狂へと繋がっています。

2026年のオリンピックを見るとき、「最初はたった16カ国から始まったんだな」「日本は震災を乗り越えてここに来たんだな」と、少しだけ歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。競技を見る目が、少し温かいものになるかもしれません。

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