- 14thシングル『Don’t Leave Me』と 7th Album『The 7th Blues』を全力で語り直す
- 1. これは低迷期なんかじゃない。B’zが“深くなる”ために必要だった1994年
- 2. Don’t Leave Me――B’zが“陰影”をメジャーのど真ん中に持ち込んだ日
- 3. 「Mannequin Village」がB面で終わっていいわけがない
- 4. The 7th Blues――“売れながら深く潜る”という離れ業
- 5. このアルバム、曲ごとに“温度”が違いすぎて凄い
- 6. “暗黒時代”の正体は、実はB’zの自信そのものだった
- 7. ライブで見ても、『Don’t Leave Me』はやっぱり特別だった
- 8. 結論――1994年のB’zは、“売れながら本気で変わった”
- あわせて見たい・聴きたい
14thシングル『Don’t Leave Me』と 7th Album『The 7th Blues』を全力で語り直す
1. これは低迷期なんかじゃない。B’zが“深くなる”ために必要だった1994年
1994年のB’zを、後年のファンはしばしば「暗黒時代」と呼ぶ。
でも、あえて言いたい。これは“暗くなった時代”ではない。B’zが、売れ線のその先にある本当の強度を手に入れた時代だ。2月9日に14thシングル『Don’t Leave Me』、3月2日に7th Album『The 7th Blues』を発表したこの年、彼らはそれまでの華やかなイメージをなぞるのではなく、もっと重く、もっと渋く、もっと内側に潜っていく音を選んだ。しかもそれを、ヒットのど真ん中でやってのけた。その事実が、まず強い。 B’z公式 B’z公式 B’z Wiki
この年が転換点だったことは、サウンドだけではない。松本孝弘の英語クレジットは、『Don’t Leave Me』から “Takahiro Matsumoto” ではなく “Tak Matsumoto” へと移行する。一方で『The 7th Blues』では、作曲は “Tak Matsumoto” なのに、プロデューサーやギター表記には “Takahiro Matsumoto” が残る。この表記のゆらぎがたまらない。1994年は、B’zが音だけでなく、自分たちの見せ方そのものを作り替えていた年でもあったのだ。 B’z Wiki Discogs
さらにこの流れは、同年の『MOTEL』でB+U+M体制が終わりを迎えることにもつながっていく。つまり1994年のB’zは、単にアルバムの雰囲気が変わっただけではない。制作の骨組みそのものが、大きく組み替わる直前の、張りつめた時間にあった。そう思って聴くと、この年の音はますます生々しい。 B’z Wiki

2. Don’t Leave Me――B’zが“陰影”をメジャーのど真ん中に持ち込んだ日
『Don’t Leave Me』は、1994年2月9日発売のB’z 14thシングル。テレビ朝日系ドラマ『新空港物語』主題歌として世に出て、オリコン週間1位を獲得し、最終的にはミリオン級のセールスを記録した。つまりこの曲は、“攻めた問題作”であると同時に、圧倒的に売れた曲でもある。この事実は何度でも強調したい。B’zは安全策ではなく、大胆な変化で市場を掴んだ。 B’z公式 Wikipedia B’z Wiki
この曲の何が衝撃的か。
それは、明るく抜けるポップ・ロックの快感ではなく、沈み込むようなブルースの湿度で勝負していることだ。ホーンが鳴り、リズムは重く、稲葉浩志の声はどこまでも切迫している。華やかさはあるのに、浮ついていない。メジャー感はあるのに、軽くない。B’z Wikiでもこの曲は当時のB’zにとって大きな方向転換だと説明されていて、実際に聴けば、その一音目から「前までのB’zとは違う」という感覚が走る。 B’z Wiki
しかもこの“違い”は、後年ファンのあいだで「暗黒時代の曲」と呼ばれるほど、強い印象を残した。Tak自身がそうした呼ばれ方に触れていた、というエピソードまで残っているのだから、この曲がB’z史の節目だったことはもう疑いようがない。明るい曲をやめた、という話ではない。光だけでなく影まで自分たちのものにした、その最初の決定打が『Don’t Leave Me』だったのだ。 B’z Wiki
視覚面もまた最高に強い。ミュージックビデオはロサンゼルス郊外で撮影されており、その乾いた風景と抑えた色調が、楽曲の寂寥感と見事に噛み合っている。音と映像がここまで一体化していると、もはや「シングルのMV」というより、1994年のB’zそのものの肖像だ。まだ見返していないなら、ぜひ改めて観てほしい。あの画面の温度こそ、この時期のB’zの温度だ。 B’z Wiki 公式MV

そして演奏陣がまた渋い。青山純、明石昌夫、増田隆宣、妹尾隆一郎、SKA-PARA HORNS。ここに生沢佑一と高嶋りんのコーラスまで加わる。そりゃ厚くなる。そりゃ簡単に“歌謡ロック”では片づかない。この曲の深みは、人選の時点で勝っている。 Discogs Wikipedia
3. 「Mannequin Village」がB面で終わっていいわけがない
カップリングの「Mannequin Village」もまた、このシングルを特別なものにしている。
A面の『Don’t Leave Me』が“表の陰”なら、こちらはもっと都市的で、もっと神経質で、もっと不安の形をしている。シングルの2曲目なのに、埋め草の匂いがまったくしない。むしろこの曲があるからこそ、『Don’t Leave Me』というシングルは一枚の作品として完成する。 B’z公式 Discogs
この曲が長く“シングルでしかまともに触れにくい曲”だったことも、ファン心理をさらに熱くする要因だった。2017年の『B’z COMPLETE SINGLE BOX』で、古いB面曲群の物理収録が改めて整理された時、「Mannequin Village」がそこにしっかり含まれていたのは本当に大きい。そして2005年の『LIVE-GYM 2005 “CIRCLE OF ROCK”』でセットリストに復帰した事実が、この曲が単なるレア曲ではなく、B’z自身にとっても忘れられていない曲であることを物語っている。 B’z Wiki B’z Wiki

4. The 7th Blues――“売れながら深く潜る”という離れ業
『The 7th Blues』は1994年3月2日発売、B’z初の2枚組オリジナル・アルバムだ。全20曲、約1時間42分。しかもこれが、オリコン週間1位を3週連続で獲得し、累計約163万枚を売る。普通に考えておかしい。2枚組で、重くて、渋くて、再構築の色も濃い。にもかかわらず、しっかり巨大な支持を得ている。つまりこのアルバムは、「難しくなったのに売れた」のではない。深くなったからこそ届いたアルバムなのだ。 B’z公式 Wikipedia B’z Wiki
収録曲は次の20曲。
この並びを見ているだけで、1994年のB’zがどれだけ本気だったかがわかる。ヒット曲を置いて安心させるのではなく、世界観で飲み込む配置になっている。 Discogs
Disc 1
- LOVE IS DEAD
- おでかけしましょ
- 未成年
- 闇の雨
- MY SAD LOVE
- Queen Of Madrid
- ヒミツなふたり
- Strings Of My Soul
- 赤い河
- WILD ROAD Discogs
Disc 2
- Don’t Leave Me
- Sweet Lil’ Devil
- THE BORDER
- JAP THE RIPPER
- SLAVE TO THE NIGHT
- 春
- 破れぬ夢をひきずって
- LADY NAVIGATION
- もうかりまっか
- farewell song Discogs

5. このアルバム、曲ごとに“温度”が違いすぎて凄い
「LOVE IS DEAD」――初手から、まったく甘やかしてくれない
1曲目の「LOVE IS DEAD」は、このアルバムの入口として完璧すぎる。
“ようこそ”ではなく、“覚悟はあるか”と問うような始まり方だ。ホーンやピアノが入っていても、明るい導入にはならない。むしろ、不穏で、都会的で、重たい。2枚組大作の冒頭なのに、いきなりリスナーに迎合しない。この時点で『The 7th Blues』は、サービス精神より世界観の貫徹を選んでいる。 Discogs
「Strings Of My Soul」――松本孝弘の“泣き”が、言葉なしで全部持っていく
「Strings Of My Soul」は、松本孝弘のインストの中でも特に美しい一曲だと思う。
バンド・アルバムの中でインストがここまで強い存在感を持つのは、メロディが本当に強いからだ。技巧の誇示ではなく、感情の輪郭がギターだけで立ち上がってくる。B’zのアルバムを聴いているはずなのに、ふと“Takのソロ表現”そのものに深く踏み込んだ気持ちになる。こういう曲が自然に入ってくるあたり、このアルバムは懐が深い。 Discogs
「赤い河」――この異様さは、やっぱりただものじゃない
「赤い河」は、アルバムの中でも明らかに異質だ。
壮大で、妖しくて、どこか儀式めいている。そしてこの曲は、アレンジの裏話まで含めて強烈に面白い。明石昌夫の回顧によれば、導入の効果音はローランドD-550のグロッケン音を録音して逆回転させたもの。さらに弦の反復では、セカンド・バイオリン、ビオラ、チェロが同じフレーズを執拗に繰り返す設計になっていて、演奏者から「ずっと弾いていると悲しくなってくる」と言われたという。そしてリズムにはクロススティック4つ打ち。人間が演奏しているのに、どこか無機質で、だからこそ痛い。この感覚は唯一無二だ。 note

「JAP THE RIPPER」――ライブの熱が、そのままスタジオで牙をむく
「JAP THE RIPPER」は、1993年の『LIVE-GYM Pleasure ’93 “JAP THE RIPPER”』で未発表曲として演奏されていた。
つまりこの曲は、最初からライブの熱を背負っていた曲だ。その荒々しさがスタジオ収録で整いすぎず、むしろ興奮のままパッケージされているのがいい。1994年のB’zは、スタジオで凝ったことをやりながら、同時にライブの獰猛さも捨てていない。知的なのに野蛮、その両立ができている。 Wikipedia
「SLAVE TO THE NIGHT」――初期曲を、こんな顔に作り替えるのか
「SLAVE TO THE NIGHT」は、「ハートも濡れるナンバー 〜stay tonight〜」のリメイク版だ。
でも“焼き直し”なんて言葉ではまるで足りない。曲の構成は変わり、質感も変わり、初期B’zの軽快さは、ここでは完全に別の人格へと変貌している。さらにジミ・ヘンドリックス「Little Wing」のイントロ引用まで絡んでくる。この曲を聴くと、『The 7th Blues』が単なる新曲集ではなく、B’zが自分たちの過去まで解体して再構築するアルバムだとよくわかる。 Wikipedia
「LADY NAVIGATION」――代表曲をここまで“別人”にできるのが凄い
「LADY NAVIGATION」もまた衝撃だ。
あの打ち込み感の強いヒット曲が、ここでは全英詞のスローなアコースティック・アレンジに生まれ変わる。ベース、ピアノ、ドラム、アコースティック・ギター、そして歌。派手さは削がれているのに、曲の芯だけがむしろくっきり見えてくる。HMVでも英語バラード版と説明されているが、本当にそういうレベルの再構成だ。代表曲を壊す勇気がある人だけが、代表曲の本当の強さを証明できる。 Wikipedia HMV
「もうかりまっか」――このユーモアがあるから、アルバムがさらに深くなる
『The 7th Blues』は重い。かなり重い。
でも、だからこそ「もうかりまっか」が効く。関西弁を全面に押し出したこの曲は、一見すると異物に見えるかもしれない。けれど実際には、これがあることでアルバムは単なる“暗い大作”ではなくなる。B’zはブルースを、ただ渋くて暗いものとしてではなく、土地性やユーモアまで含めた懐の深いものとして扱っていた。その感覚が、この曲にはある。 B’z Wiki Discogs
6. “暗黒時代”の正体は、実はB’zの自信そのものだった
『The 7th Blues』のロゴはAerosmithを思わせる、とよく言われる。実際にそうした指摘はある。ただし、それを本人たちが公式にオマージュと断言した確認までは取れないので、そこは慎重に見ておきたい。けれど少なくとも、このアルバム全体がB’zなりのロック文脈への接続を強く意識しているのは間違いない。 B’z Wiki
実際、「SLAVE TO THE NIGHT」のような引用性のある曲もあれば、「LADY NAVIGATION」のように自分たちのヒット曲を大胆に作り替える曲もある。つまりこのアルバムの本質は、“暗いアルバム”ではなく、B’zがB’z自身を解釈し直すアルバムなのだ。売れている最中に、自分たちの代表曲すら分解し、別の姿で組み直す。そんなこと、普通は怖くてできない。だからこそ1994年のB’zは、ただ暗いのではなく、ものすごく強い。 Wikipedia

7. ライブで見ても、『Don’t Leave Me』はやっぱり特別だった
1994年の『LIVE-GYM ’94 “THE 9TH BLUES”』では、「Don’t Leave Me」の置かれ方が象徴的すぎる。Part 1ではアンコール終盤、Part 2では本編1曲目。これがすべてを物語っている。B’zにとってこの曲は、締めの曲にもなれば、幕開けの曲にもなった。終わりを背負えて、始まりも背負える曲なんて、そうそうない。 B’z Wiki B’z Wiki
しかもこの曲は、その後も消えなかった。1995年の『Pleasure’95 “BUZZ!!”』では12曲目に入り、2008年の『LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-』でも公式映像作品に収録されている。B’z Wikiでは通算150公演での演奏歴がまとめられているが、それだけ長く残ったのは、この曲が単なる“当時の問題作”ではなく、B’zの核に触れている曲だからだと思う。 B’z Wiki B’z公式 B’z Wiki

8. 結論――1994年のB’zは、“売れながら本気で変わった”
ここがいちばん大事だ。
『Don’t Leave Me』はミリオン級ヒット。『The 7th Blues』は2枚組で累計約163万枚。つまり1994年のB’zは、商業的に苦しんで仕方なく方向転換したわけではない。絶頂にいながら、自分たちの音をもっと重く、もっと深く、もっと危うくしていったのである。 Wikipedia B’z Wiki
だから、1994年を“暗黒時代”と呼ぶとしても、その意味は「陰った時代」ではないはずだ。
むしろそれは、B’zがポップ・ユニットとしての顔だけでは足りないと知り、ロックの深部へ自分たちの手を伸ばした時代だった。『MOTEL』へ、さらにその先のB’zへつながっていく骨格は、間違いなくこの年に作られている。華やかさの裏で、B’zは静かに、でも決定的に、強くなっていた。1994年を聴き直すということは、その変貌の瞬間を追体験することなのだ。 B’z Wiki B’z Wiki

あわせて見たい・聴きたい
『Don’t Leave Me』の空気を一発でつかむなら、まずは公式MV。ロサンゼルス郊外の乾いた画面と、あの重いグルーヴが結びついた瞬間、この時期のB’zが“ただのヒットメーカー”ではなかったことがはっきりわかる。 公式MV
ライブでの存在感を確かめるなら、『B’z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-』の収録情報もおすすめだ。ベストヒット級の曲群の中に「Don’t Leave Me」が当然のように置かれている事実が、この曲の格を何より雄弁に物語っている。 B’z公式

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